歌舞伎とは?

江戸時代の文化が育てた日本ならではの演劇。「歌舞伎」という言葉は奇抜な身なりをする意味の「かぶく」から生まれました。舞踊・音楽・科目劇(かもくげき)などの要素が一つになった総合演劇で、寛永6年(1629年)からは男性だけで演じられるようになりました。女性役を演じる役者のことを女形と呼んでいます。

柳橋歌舞伎の歴史

白波五人男

阿武隈高地の山ひだに抱かれた福島県郡山市中田町柳橋に、江戸時代から連綿と受け継がれてきた「柳橋歌舞伎」。言い伝えによると江戸時代の文化文政期に旅芸人が長い間住み続けており、この旅芸人達によって歌舞伎が伝えられたのではないかといわれています。また、江戸時代にこの地域は天領で比較的年貢の取り立ても穏やかであったため、芸事が盛んに行われたとい
われています。そして文政三年(1820年)中村代之丞が菅布裲大明神に歌舞伎を奉納したのが柳橋歌舞伎の始まりとされています。

その後、戦争や義太夫、三味線の奏者が不在の度に何度も途絶えながらも復活を繰り返してきました。

義太夫と三味線奏者
↑義太夫と三味線奏者

昭和55年(1980年)柳橋歌舞伎保存会が結成され、今日まで毎年上演されています。昭和58年(1983年)に郡山市指定重要無形民俗文化財に指定され、今年3月には第21回 全国ふるさとイベント大賞で「ふるさとキラリ賞」を受賞しました。現在は地元の御舘中学校で保存会の方々が全校生徒に教え継ぐ形で歌舞伎が継承されています。

柳橋歌舞伎の特長は、舞台のセットから台本まですべて農民の手で作られたものであること。そして、江戸の歌舞伎と同じく男性のみで演じられることです。明治時代からは後継者が不足し、途絶えた時期がたびたびありましたが、昭和55年の「柳橋歌舞伎保存会」結成によって本格的に歌舞伎上演が復活し、今に至っています。保存会所蔵の享保20年と書かれた長持(ながもち)に保管されていた衣装やかつら、小道具のうち17点(江戸後期~明治初期)が、平成15年に郡山市重要文化財に指定されています。

柳橋歌舞伎衣裳
↑江戸時代から使用されている役者の衣裳
柳橋歌舞伎伝承館
↑夕闇に浮かび上がる舞台が美しい
柳橋歌舞伎での屋台
↑会場の屋台。金魚すくいがあったり子供も大人も一夜限りのお祭りを楽しみます。

柳橋歌舞伎の始まりから「柳橋歌舞伎保存会」結成に至るまで主な流れ

1804年~1830年(文化、文政期)
江戸の庶民文化が日本全国各地で開花する。

1810年(文化7年)
保存会所蔵の長持箪笥に文化7年10月、中村代之丞、菅布裲大明神に歌舞伎奉納の記述がみえる。

1840年(天保11年)
柳橋村、木目沢村で歌舞伎(義経千本桜)が上演された記録がある。また当時使用された化粧道具が残されている。

1883年(明治16年)
中村之五郎(宗像徳エ門)、竹本峰根尾太夫(古川稲吉)氏らが座元になり、奉納歌舞伎や興行歌舞伎をおこなう。

1925年(大正14年)
6月に柳橋村で大火があり歌舞伎に関する資料文献が大量に消失する。

1940年(昭和15年)
太平洋戦争により歌舞伎が中断する。

1947年(昭和22年)
終戦後青年歌舞伎として復活し、菅布裲神社 秋季例大祭に奉納する。

1980年(昭和55年)
柳橋歌舞伎保存会が結成される。

柳橋歌舞伎が演ずる主な演目

1 一の谷嫩軍記、須磨浦組討の場
2 一の谷嫩軍記、兎原里の場
3 一の谷嫩軍記、熊谷陣屋の場
4 神霊矢口の渡し、頓兵衛住家の場

神霊矢口渡

5 奥州安達ヶ原、嫌杖舘袖萩祭文の場
6 奥州安達ヶ原、文治舘住家の場
7 絵本太功記、十段目尼崎閑居の場
8 伽羅先代萩、対決刃傷の場
9 義経千本桜、伏見稲荷鳥居前の場

義経千本桜

10 菅原伝授手習艦、寺子屋の場
11 鎌倉三代記、絹川村閑居の場
12 青砥橋花紅彩画、白波五人男稲瀬川勢揃いの場

白波五人男

13 義経腰越状、五斗兵衛
14 仮名手本忠臣蔵、鉄玉渡し二つ玉
15 仮名手本忠臣蔵、源太勘当の場
16 仮名手本忠臣蔵、判官切腹の場
17 壷坂霊験記、お里澤市

保存会会長を2年務めた前会長の古川嘉徳さん(左)、現役の役者でもある副会長の宗像剛咲さん(右)に柳橋歌舞伎について聞きました。

柳橋歌舞伎取材風景

◆全部でいくつの演目があり、どのぐらいの期間練習するのですか︖

全部で17の演目があり、その中から毎年3つを披露しています。義経千本桜は20年間、中学生が毎年演じています。歌舞伎は難しく一つの演目を覚えるには一年ぐらいかかります。

◆歌舞伎を演じる上で難しいことは︖

義太夫(指揮者のような役割)と三味線奏者が弾く浄瑠璃に合わせて役者が演じますが、そのほか黒衣・大道具・照明・音響・着付け・化粧など、たくさん人が関わって成り立ちます。それぞれがしっかり役割を果たすことが大切です。

◆これからの抱負は︖

柳橋歌舞伎を通して人と人とが繋がるきっかけにしていきたいと思います。また過疎化が進む中、地域の活性化のために努力したいと思います。

柳橋歌舞伎を見ての感想(取材スタッフより)

初めて歌舞伎を見ましたが、役者さんの台詞が独特の話し口調なので、理解できるか不安でしたが、意外に分かりやすいものでした。前もってあらすじを読むと見どころも増え、より楽しめると思います。

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