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これだけの数の神輿が集まる祭りは福島県内でも郡山だけ!

八幡さまのお祭り『安積国造神社 秋季例大祭』紹介

お祭りの歴史

安積国造神社

お祭りは古代から行われていますが、お神輿や山車が出るようになったのは江戸時代です。郡山は幕末人口5,000人の宿場町で、清河八郎は紀行文の中で「陸奥道中第一の宿」と言っています。賑やかな宿場でしたからお祭りも盛大に行われ、江戸中期には山車屋台が出るようになりました。さらに町人たちは二本松藩に「神輿渡御(みこしとぎょ)※」の斎行を申し出ました(当時郡山は二本松藩領でした)。そして藩の許可を得て明和2年(1765年)より神輿渡御がはじまりました。安積国造神社は特に格式が高かったため、藩主の家紋(違い棒紋)の使用が許され、巴のご紋とともに今もご社殿に掲げられています。

※渡御(とぎょ)、還御(かんぎょ)とは?

神様のご分霊が本神輿に乗られて地域を巡ることを「渡御(とぎょ)」。3日間渡御をしたあと、最後に表参道を通られ神社に帰られることを「還御(かんぎょ)」と言います。

神輿還御

秋季例大祭はどんなお祭り?

安積国造神社の八幡大神、稲荷大神、安積大神(安積国造比止祢命)の御分霊がお神輿に乗られ(※3社)、神様と地域の人々との絆が深まり、ご神徳がいきわたるようになります。五穀豊穣を感謝し、地域の安全を祈願するお祭りです。

※神様がお乗りになるお神輿を「社」と言います。

屋台

 お祭りについて知っておきたい用語

本神輿(ほんみこし

神様が乗られる3社のお神輿のこと。本神輿以外の神輿(今年は34基※)には神様の御札を安置します。お神輿はどんな動きをするかわかりませんから、危険を防ぐため関係者以外は触れてはいけません。水をかけたりするのもいけません。本来は神輿を上から見るのもいけません。

※神様の御札を安置している神輿は「基」で数えます。

神輿還御

上町と下町

江戸時代中期から、神社の表参道や代官小路を境に、南側を「上町(かみまち)」、北側を「下町(しもまち)」と言います。毎年還御の起点は、上町、下町交互に変わります。

上町と上町

宮本(みやもと)とは

安積国造神社の周辺の町会で、本神輿の還御を担当します。

宮本

神輿の前後に付いている提灯について

各神輿の先頭には高張提灯(たかはりちょうちん)、お神輿の後ろには後詰提灯(あとづめちょうちん)を持った人がいます。その間がお神輿の陣地を意味します。高張の棒が長いのは前に倒して構え、威圧できるようにするためだそうです。「提灯」は前にしか動いてはいけないため、駅前大通りで神輿が混雑する時は、提灯を持つ人が他の神輿との駆け引きの重要な役割を果たします。陣地がぶつかりあったりすると、ケンカになったこともあったとか。

清水台高張提灯

十二神楽(じゅうにかぐら)

御神楽は古事記などで伝えられてきた日本神話にちなむ神々の舞で三十六の演目があります。年に一度、お祭りの28、29日だけお神楽殿で演じられます。馴染みのある神様も多く登場しますよ。

十二神楽

お神輿をかつぐのは講

安積国造神社氏子の各町会傘下の講(組織)がかつぎます。安積粋連だけは同好会の講です。

神輿還御